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SAKU MAMA

元気に活躍する
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インタビューします

MAMA INTERVIEW

山嵜亜矢子さん
看護師・ハンドメイド布作家

この20年間、様々な失敗と挫折など泣いてばかりな時期もありましたが、今の我が家は笑顔でいっぱいです。

> 一度目の結婚
20歳と5歳の娘???・・・・お察しの通り長女と次女の父親は違います。
短大に入って1ヶ月も経たない時に、妊娠していることがわかり、短大を中退して結婚・出産をしました。
子どもが子どもを産む・・。まさにそんな感じで、必死で生活していたと思います。
前夫は10歳年上で、朝から夜中まで働いていたので、ほぼ家には居ませんでした。
そんな結婚生活も3年程で上手く行かなくなりました。
離婚を考え弁護士に相談に行ったところ、世間に出たことが無く、パートの僅かな収入しか無かった私に「子どもを手放したくなかったら、手に職を付けてから離婚を考えなさい」と助言されました。
そして親戚からの勧めもあり、看護師になろうと決めたのです。
何度もくじけそうになりましたが、親・兄姉・親戚、そして友達・職場の先輩方にサポートしてもらい、病院で看護助手として働きながら、看護学校の受験勉強をし、晴れて合格することが出来ました。
学校は2年間でしたが、仕事と勉強と子育て・・・・・・。本当にしんどくて、辛くて、子どもとゆっくり過ごす事も出来ない日々が続きました。
そして、3年間の別居を経て前夫と離婚の運びとなり、親権も私が持つことができました。
> シングル期
看護師資格を取ってからは一層不規則な勤務になり、子どもには寂しい思いをさせていたと思います。
私もまだまだ若かったので、友達とも遊びたかったし、恋愛もしたかったし、実際にお付き合いしていた方が居たので、子どもとまっすぐ向き合えていたか?と聞かれると、正直そうでは無かった時期もありました。
その当時の交際相手は私に子どもが居ることを知りながらも、子どもに会うのは拒否していたので、子どもを預けてデートすると言う恋愛スタイルでした。
子どもを預けて寂しい思いをさせている・・。と言う罪悪感でいっぱいでした。
当然そんな恋愛は色んな所に色んな形で歪みが出て、長続きしませんでした。
そして恋愛から遠ざかっていた時に、今の主人と出会いました。
> 2度目の結婚
友人からの紹介で今の主人に出会いました。
実は主人もバツイチ。
そんな主人は初めから「私のことを愛しているから、私の子どもも私の一部で大切な存在」「色んな経験をして子どもを育てて来たから、今の私の人格がある。そんなたくましい私を好きになった。」と言う考えで居てくれた様です。
今までのように、子どもを預けるという事がなく、罪悪感を持たずに恋愛ができました。子どもと3人で居ても楽しい。子どもが居ない時は、この時間にもっと仲良くなって楽しもう。そしてまた子どもと向き合おうと言うのが、今の主人との恋愛スタイルでした。
そうなると、すぐに結婚を意識し交際1年くらいで再婚し、3人の生活が始まりました。
結婚後、間もなく病院を辞めつ事になりました。
私の母、親戚で訪問介護事業を立ち上げ、責任者として働き、妊娠もできて、全てが順調で幸せ。と思っている矢先、妊娠中期の検診で赤ちゃんの心拍が止まっていることがわかり悲しみに耽りました。この頃から・・・何かが狂い出しました。
それからは中々妊娠できず不妊治療を始めることにしました。
仕事も一層忙しくなり、トラブルも続き、身体的、精神的、金銭的にも疲れ、私から笑顔が無くなりました。
そうすると家庭が何かおかしくなってきました。
中学生になっていた娘の思春期の気持ちや、SOSなど全く気づく事無く、私だけがしんどい・・・。と泣いてばかりいました。
ふと娘の様子がおかしいと気づいた時はすでに、服装は乱れ、学校の遅刻、早退は当たり前、次第に不登校となり、たまに学校へ行けば何やら問題を起こし、先生から電話がかかってきて謝罪に行く・・・。そして家に帰ってこなくなり探し回る。時には警察から電話がかかってくることも・・・。等々まるでテレビドラマの様なやんちゃぶりでした。
私自身は不妊治療も3年が過ぎ、これを最後に子どもを諦めよう・・。とチャレンジした体外受精で次女を授かることができ、出産することができました。
その頃、長女のやんちゃぶりは勢いを増していましたが、何とか高校へ進学していました。・・・・・が、1年の夏には停学になり、そのまま自主退学と言うことになってしまいました。そして、私の仕事も忙しさを増し、私はパニック状態になっていました。
あれだけ頑張って次女を授かったからには、子育てを楽しみ、ちゃんと向き合って成長をみていきたかったのに、あまりのキャパオーバーで次女が泣くたび、眉間にシワを寄せイライラして、泣き声を聞きたくないから必死で寝かし付けようとしたり、主人に当たり散らしたり・・・・。再び私から笑顔が無くなり、泣いてばかりの生活になりました。
そんな時、主人に・・・。
「自分だけがしんどいと思ったらあかん。そんなママを支える俺もしんどいし、そんなママにちゃんと接してもらわれへん子ども達もしんどいんやで」
「仕事でのママの替わりは何とかなっても、子ども達のママの替わりは他にはできないんや。」
と言われた事がきっかけで、これではいけない!自分にとって大切なのは何か!と自分を見つめ直しました。
色んな思いはありましたが、訪問介護事業所をたたみ、短時間で働けるところを探しました。
選んだところは、不妊治療専門クリニック。
そこでは自分の経験を生かす事ができ、妊娠へと頑張るご夫婦のサポートができ、とてもやりがいがありました。とても楽しく働くことができました。そして、私に笑顔が戻り、時間にも余裕ができた頃にハンドメイドに出会ったのです。
> ハンドメイドとの出会いから今後の夢
今まで全くの無趣味だった私がハンドメイドに目覚めたのは2年前。
クリニックで働いていた看護師さんが楽しそうに自分の作った洋服を、お子さんに着せている写真を見せてもらってるうちに、私もしたくなった・・・。と何とも簡単な動機です。
当時、私はボタンすら付けることできない不器用な女だったんです。
何せ、針と糸と言う物が家に存在しませんでした。恥ずかしながら、ボタンが取れてしまった洋服はもう着れないという考えでした。
そんな私が「洋服を作るからミシンを買う」と言うと周囲からは笑われてました。
家庭科の授業以来ミシンなんて触ったことが無かったので、何が何だか訳がわからない状態・・・です。
でも、何としても私の作った洋服を子どもに着せたい!と言う思いでくじけそうになりながら作ったスカートとワンピースが思いのほか、可愛く出来上がり保育園でもちょこっと注目されたのです。
この快感と言うか、達成感にハマり、夢中で作りまくり、保育園に着せて行きまくり、可愛い~と言ってもらうととても嬉しく、自分の中だけで楽しんで居ました。
そんな時にキャンドル作家として活動していた園ママから「一緒にイベントに出店してみない?」と声をかけてもらい、『ankano』と言う作家名を自分に付けて活動を始めたのが去年の6月のマルシェドママンでした。
今は、 crescendo (クレッシェンド)だんだん大きく広げていこう!と頑張るママの手作り大好きユニットに入って色んなイベントに出店し少しずつ活動の場を広げています。
私がcrescendoに参加して、この1年間の活動はほぼ毎月のように何処かのイベントに出店したり、自宅でone day shopを開催しています。
手作り市やフリマ、ワークショップなど自分たちでも色んな企画を考えたりして、確実に前進しています。そして手応えも感じています。
嬉しい事に、crescendoが出店するイベントに必ず来場してくれるお客様も増えてきました。
また、やんちゃだった長女も今年20歳にして通信制高校を卒業し、この4月から石川県の金沢にある看護学校に通うことになり、新しい生活を頑張り始めています。
「ママと同じ看護師になりたい」と言ってもらった時は本当に嬉しく思いました。
反面、看護の勉強、仕事がどれだけしんどいかわかっている分、心配する所も大いにありますが、今はそっと見守り、サポートしていきたい思っています。
この20年間、訳も解らず突っ走ってきて、失敗、挫折など泣いてばかりな時期もありましたが、今の我が家は笑顔でいっぱいです。
主人がいつも言います。
「ママの様子がおかしくなったら家の中が暗くなる。ママが笑って楽しく過ごしていたら、みんなが笑って楽しい家になる。我が家はすべてママの笑顔次第」「だからママが楽しく活動するなら全面的にサポートするよ!」
そしてそんなパパは私のイベントに休みを合わせ、子守りは勿論、什器や商品の運搬など快くしてくれています。
時にはcrescendoのメンバーの子ども達の子守りも引き受けてくれたり、なんならママ達の愚痴聞き係など、私たちの活動に無くてはならない存在です。
良い事も、嫌だった事もその折々に色んな人に出会い、サポートしてもらって、成長してきた私です。。今・・・本当に幸せです。
私に関わってくださった沢山の人達に感謝。
何より、1番身近なサポート役の主人に感謝しながら、少しずつ、ゆっくり、楽しみながら大きくなっていきたいと思っています。
今はまだまだ趣味の範囲での活動となっていますが、いずれは自分の店を持って職にしたいと考えています。
『ankano』のお洋服をはじめ、crescendoで一緒に頑張っている作家さんの作品を販売し、商品を見に来たついでにお茶なんか飲みながら、子ども達の成長自慢や、夫婦仲自慢、もしくはパパの愚痴、悩みなどを語りながら、ゆっくりしていける空間を作りたいと思っています。
「ankanoとあゃママの成長日記」http://ankanohime.blog.fc2.com/
で私の作品やイベント情報の紹介、家族の幸せぶりなど日々更新していますので、遊びに来て下さい。

山嵜亜矢子さん看護師・ハンドメイド布作家

1973年生まれ  大阪府出身
現在、パートで看護師をしながら、ハンドメイド作家『ankano』と言う作家名で活動中
20歳と5歳の女の子のママです。

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